コーヒーを飲むときもお茶を飲むときも Signe Persson-Melin のピッチャーを使っている。土器のように厚ぼったい持ち手にさりげなく施されたエンボスの葉っぱ柄。このボテッとした佇まいがなんだか愛嬌があってかわいらしい。眺めているだけで幸せな気持ちにさせてくれる。それに加え、用途にぴったりの働きをしてくれるのがこのピッチャー。入る分量、注ぎ口の傾斜に加え、冷蔵庫に入る高さや他の食器との相性も完璧である。
ある日、事件は起こった。不慮の事故によりひびが入ってしまったのだ。それは突然過ぎる別れだった。その愛らしい姿はもう元には戻らないと思うと血の気がじわじわ引いてきて、クラクラして立っていられないほどの大きなショックに変わっ た。今は大抵のものが Amazon のワンクリックで 手に入る。しかしこの手作りのピッチャーはそうはいかない。愛情が深ければ深いほど傷は深い。こんなにも愛してさえいなければ、こんな大きな悲しみはやってこなかったのに。そもそも壊れてしまうものに対して大きな愛情を持たなければよいのではないか。陶器はいつかは割れるもの、そう心して日々使うべきだったのだろうか。走馬灯のようにあれやこれや考えが頭をよぎる。気づけば日常の作業が手につかなくなっていた。
これはいかん。私は目の色を変えて探しに探し続けた。 そしてその執念が実を結び、ついに2代目を手に入れた。私にとっては決して安価なものではないが、その購入に迷いはなかった。断捨離だとかミニマリストといったようにものを持たないことに幸せを見出すことに関心が高まっている中、私のこの強烈な執着心は一体何なのだろうか。このピッチャーを使うとき、私は幸福感に包まれる。
Written by:折井 枝里子(ORI DESIGN / グラフィックデザイナー)
1984年生まれ。武蔵野美術大学卒業後、印刷会社勤務を経て、独立。このdoinel journalのデザインや撮影をはじめ、サイトなどのdoinelのビジュアル制作を担当。
doinel以外にも店舗のグラフィックやパッケージデザインなど、子育ての傍ら行っている。
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